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2022.05.07

ママパパの生活

うさぎの耳〈第四話〉チョコ・クッキー|谷村志穂

photo by Nakamura Akio



「出てきてちょうだい」

義母の声だった。

「理玖が寝ているので、今そちらに行きます」

「つべこべ言わずに、早く、出てきなさい」

大きな声に、理玖がびくりと動く。そのまま両手を握ってやると、もう一度寝息になった。

「あなた、何を考えてるの?誰を家に入れたの?断りもなしに。ここは私の家だって言ってるでしょう?」

モスグリーンのアンサンブル・ニットを着てリビングの入り口に立つ義母の目は、三角に吊り上がっていた。部屋には、珍しく線香の匂いがしていた。義父の仏壇に手を合わせたようだった。

「頭がおかしいんじゃないの?そんな勝手なことをして。わかってるの?ねえ、何か答えなさいよ」

私は三十歳を少し超えたところ。義母は、その倍以上を生きてきたはず。血が繋がっていないからか、目の前で猛っている義母を、何か冷静に見つめていた。

「公園で友達になって、おかげさまで楽しい時間でした。あんな狭い部屋だけど、友達が呼べました」

「呼ばなくていいのよ。足の踏み場もないような部屋なんだから。大人しくそこで息を潜めていたらいいじゃないの」

その後義母は、二世帯で住んだ友人たちの不幸な結末を、これでもか、これでもかというほどまくし立てた。それらの話は、聞いていてもあまりに他人事でしかなく、ある意味では驚きに満ちていた。

将来の面倒を見るからと、家の建て替え代も出したのに、入院したら見舞いにも来ない。玄関に飾った花を、趣味ではないと言って嫁に捨てられた。子どもが小さい時だけ頼ってきて、大きくなると一緒に食事もしなくなった、など続き、ろくなことがないんだと言った。だから、絶対に嫌だったのだ、と。

「そうですよね。お義母さんの落ち着いた暮らしがあったんですから」

「何よ、急にわかったようなこと言って」

義母は、部屋の中をうろうろと歩き回り、カーテンを開いて外を見つめた。まるで、誰かに見張られてでもいるかのような振る舞いだった。

「お義母さんは、本当に理玖が可愛くないですか?もう笑うし、背伸びもします。手だって叩くんです。理玖にはもう、あの部屋で息を潜めて暮らすのは無理なんです」

「その約束だったんじゃないの?あなた。偉そうに、何言ってるの?盗人猛々しい」

大切な暮らしに、あと少しだけ理玖と私がいる場所を広げてはくれないか? 

「二階のお部屋をどこか使わせてもらうことはできませんか?理玖は今にハイハイして、よちよち歩きも始めて、そして走り回り始めます。その時は、どうしたらいいですか?」

義母は返事をしなかった。考えたくもない、とばかりに下唇を噛んでいた。

「隆也は何をやっているのよ。ずっとなんて思うはずないじゃないの。あの子は、どこにいるのよ」

「出ていってほしいんですね?」

意外にも、義母はそれにも返事をしなかった。使い走りとしては便利だ、くらいには思ってくれているのか、それとも放り出しても当てがないだろう母子を少しは想像してくれたものかわからない。

「今日は、約束を破ってごめんなさい。お食事も、もう済みましたよね?」

義母は再びカーテンの向こうの夜空を見ていた。

「でも、おかげさまで、とても楽しかったんです。私も、きっと理玖も。初めてでした、こんな気持ちになるの。ありがとうございました」

理玖の待つ部屋へと戻った。ベッドで抱き抱えると、その温もりの内に自分も沈んでいった。

部屋の灯りを、消した。束の間、眠ろう。

◀前の話 うさぎの耳〈第三話〉シャボン玉のパペット

撮影/中村彰男 校正/岡村美知子

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谷村 志穂 作家

北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部卒業。出版社勤務を経て1990年に発表した『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーに。03年長編小説『海猫』で島清恋愛文学賞受賞。『余命』『いそぶえ』『大沼ワルツ』『半逆光』などの多くの作品がある。映像化された作品も多い。

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