【ベビモ】はじめてママ・パパの悩みを解決

検索

menu

カテゴリー一覧

FOLLOW US!

  • LINE
  • Instagram
  • YouTube
  • Tiktok
menu

MENU

会員登録
menu

2022.01.16

ママパパの生活

うさぎの耳〈第二話〉そばかすパペット|谷村志穂

photo by Nakamura Akio



「ただいま、遅くなりました」

と、言いかけた言葉尻を飲み込んだ。

きちんと手入れされた幅広の革靴が一足。義母の俳句仲間が一人、訪ねているようだった。確か、理玖のブランケットが届いた日にも、その靴があった。

慌ててスマホを確認すると、

〈来客があります。〉

義母からは、一行だけのそうメールがあったのに、気づいていなかった。

〈。〉の後には、なのでお静かに、とか、食事は自分でなんとかするようにとか、そう言うニュアンスが含まれるはずだった。ひっそり帰宅して、ベビーカーを畳み物置に収納して、角部屋まで入っていけばよいのだ。

「あら、お帰りじゃない?」

客人の声が、廊下を伝った先のリビングから届く。ぶら下げてきた買い物袋を上り框に下ろし、理玖を脇に抱え、ベビーカーを畳んでいると、客人が出てきてしまった。

「まあ、赤ちゃん。ようやく会えた。抱っこさせて」

長いスカートをはいた客人はするりと理玖を抱き上げ、あやすように体を左右に揺らした。

「お外はもう、寒かったでしょう?大丈夫?風邪引かない?あら、ご機嫌さんね」

理玖は今日、二度も同じ言葉を向けられた。本当に表情が豊かになってきたのだ。

「それ、食材?真智子さん、あなた、運んでくださいな」

客人に名前を呼ばれてリビングから出てきた義母が、こちらに愛想笑いをし、

「お帰りなさい。遅かったじゃない」

買い物袋に収まった食材を運んでいきながら言い含む。

「あなた、食事はもう済ませたんですもんね」

私は客人に挨拶をし、理玖を再び受け取り、自分たちの部屋に戻った。

せめて、買い物袋から、みたらし団子だけでも取り出しておけばよかったと思う。なかなか、空腹だ。保温ポットにはまだカフェオレが残っているが、この時間にカフェインを摂ると、理玖は寝付きが悪くなる。

「ママ、ちゃんと出るかな」

ベッドに座り、自分でセーターの上から胸を触ってみる。少し張りもなく頼りない感覚がある。

だが膝の上に抱いた理玖の口元が近づき、乳首が含まれると、母乳は滴るようにあふれ始めた。吸い上げられていく力がずいぶん強くなった。この悦楽は、母親にしか得られない褒美なのだろう。

莉子が、ママのおっぱいは最強グルメでしょう、と言ったのが思い出され、笑えてきた。

母乳を必死に吸い上げながら、理玖の両手が動く。澄んだ肌の色のその両手で五本の指が動き、空をつかむ。今日よりもよい明日を、理玖はきっとつかむ。

▶次の話 うさぎの耳〈第三話〉シャボン玉のパペット
◀前の話 うさぎの耳〈第一話〉緑色のパペット

撮影/中村彰男 校正/岡村美知子

タグ:

谷村 志穂 作家

北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部卒業。出版社勤務を経て1990年に発表した『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーに。03年長編小説『海猫』で島清恋愛文学賞受賞。『余命』『いそぶえ』『大沼ワルツ』『半逆光』などの多くの作品がある。映像化された作品も多い。

SHARE

  • facebook
  • Twitter
  • LINE

関連する記事

ランキング