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2021.12.29

ママパパの生活

うさぎの耳〈第一話〉緑色のパペット|谷村志穂

photo by Nakamura Akio


煌々とあかりをつけたままの部屋で理玖はよく眠っていた。私の天使。本当は夫婦の天使であるはずだった。

その右手に強く握られたままの指人形をそっと外す。

緑の毛糸の編みぐるみで、大人の人差し指の第一関節までがすっぽりと収まる大きさだ。人形には、目玉の動く目とピンク色の丸い鼻がついていて、頭には花が咲いたように白い編み飾りが載せられている。

今日はいつもより遠くの公園まで足を延ばしたら、自分たち母子には、一つの出会いがあった。

理玖はまだ公園で遊べるわけではない。ベビーカーに座って、陽に当たっているだけだ。当てられている、というべきかもしれない。

私はその横で、帽子を目深に被ってベンチに座っている。何かを求めているわけではないが、何もすることがない、そんな時間はいつも長く果てしなく感じられる。

ベンチの隣に座った女性がいた。長いきれいな髪が、風に揺れていた。

彼女はずっと黙っていたが、肩にかけてきたトートバッグから、毛糸とかぎ針を取り出すと、糸を針に巻きつけながら、くるくるとそれを編んでいった。覗くつもりはなかったけれど、見てはいけないようにも思えなかった。緑色の指サックのようなものができ、それを指につける。トートバッグから、白いポットを取り出し、蓋に注いで飲みはじめる。甘い紅茶のようだ。よい香りがした。

そうやって過ごす方法だってあったのだ。ただ公園にじっと座っているだけでなくて、一人でだって楽しむ方法があったのだ。一人じゃなくて、理玖と一緒だから、それで満ち足りているのだと必死に自分に言い聞かせていた、と気づく。本当は、誰かに話しかけられるのを待っていたようにもはじめて感じた。誰かに、理玖の名前を呼んで欲しかった。自分ではない、誰かに。

自分から、思いきって声をかけた。

「手袋ですか?」

はじめは、その指の部分を編んでいるのかと思った。

「これ?違うの」

彼女は指先に載せたその編み物を動かし、

「指人形、パペットなの」と、こちらを見て答えた。透明感のかたまりのような笑顔だった。

「早いですね、編むの」

「なんだかね、私、最近、こればっかり編んでいるから、早くなっちゃったみたい」

会話は止まってしまう。けれど、その時は訪れた。彼女はベビーカーの方を覗き込んだ。

「お子さん?」

「ええ、男の子です。理玖って言います。障がいがあります」

なぜかそこまでを一気に伝えていた。

「リクくん?そうか」

と彼女は理玖の表情を見ると、トートバッグから、すでに顔のついた指人形を一つ取り出した。今、編んでいたのと同じ、緑の毛糸、頭には白い花が咲いたようなシルエット、顔は真ん中より下にきゅうっと寄っていて、鼻先はピンクのごく小さなポンポンだ。

指の先につけて、

「リクくん、こんにちは」

と、彼女が指人形を動かすと、理玖は笑った。まるではじめて空を見た子のような遠くを見つめた笑顔だった。

「僕は、まだ名前がありません。名前、つけてくれるかな?」

と、彼女が言うと、理玖は不思議なことに手を伸ばした。

「もらってくれるかも」

と、こちらを見る。
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撮影/中村彰男 校正/岡村美知子

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谷村 志穂 作家

北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部卒業。出版社勤務を経て1990年に発表した『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーに。03年長編小説『海猫』で島清恋愛文学賞受賞。『余命』『いそぶえ』『大沼ワルツ』『半逆光』などの多くの作品がある。映像化された作品も多い。

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