莉子の声は急に柔らかくなった。荷物をバッグに押し入れて、
「じゃあ、またね。天使のリクくん」
そう言うと立ち上がり、こちらに微笑みかけた。
「本当に余計なことだけど、ちゃんと公園で友達作った方がいいよ。お母さん方は、みんなそれぞれ貴重な情報を持ってる。子育ての術を張りめぐらせて生きてる。きっと、リクくんのためになるんじゃない?」
そう言うと、風のように去っていった。その背中にも、理玖は、お、お、と声を発した。
作りかけのパペットは、はじまりの輪はピンク色。そこから水色を足したが、しましまは、何度かやってみてもうまくいかず、今は水色の色がたらりと垂れたままだ。
次の月曜日にも、次の金曜日にも、莉子は現れなかった。
学生時代に、韓国語の先生がこう言った。
――あなたたちの中で、今英語が苦手な人がいたら、その意識は、少し消えるかもしれません。なぜなら、新しく覚える韓国語は、もっと苦手でしょうから。そうすると、英語はましに思えてくるのです。複数の語学を同時に学ぶのは、実は苦手意識を順番に変えていく効果的な方法です。
待つという気持ちにも、同じ効果が現れた。いなくなった理久のパパを心の底ではずっと待っていた。もちろん、来る日も、来る日も、今だって。それに、突然、夢に見る。
けれど、莉子のことも待つようになると、私の「待つ」は、たった一つの重荷ではなくなったようにも感じた。
だから思いきって、ある日はいつもの公園で、誰かと友達になれるのか、見渡してみた。ベビーカーを押して、群れの方へ近づいてもみた。「こんにちは」も言った。
でも、もう幾つも群れができていて、新入りは警戒されているのが伝わってくる。
小さい頃好きだった動物の番組で、よくそんな場面を観た気がした。新しい群れに、なかなか入れてもらえない猿、そして、闘いに敗れて群れから追い出される猿。
公園を変えようか、とも思い始めていた。
少し足を延ばした場所へも、訪ねてみたら良いかもしれない。
春めいてきたのだし、理玖も日に日に脚や腕が逞しくなっている。声もよく出る。
ベンチに座ってそんなことを考え始めていたら、突然、莉子が現れた。
「よ、リクくん」
長かった髪の毛が、ベリーショートになっていた。整った顔の形に沿ったショートヘアで、額にかかる髪をピンで緩やかに留めてある。コートの中には首にぴったりと張り付くリブの黒いタートルで、耳には真珠のピアスが揺れていた。
「だめじゃん、結局、一人でいるんだもん」
「似合いますね、ショート」
思えば私は、理玖が生まれてから美容院へも行っていない。一つに結んだままだ。
「ショート、勧めるよー。髪洗っても、すぐ乾く」
「長いのも、似合ってましたけどね。そうだ、絵本は返しておきましたから」
「ころころ」と「にゃーん」の絵本を莉子の代わりに図書館で返し、自分でもカードを作った。
新しく絵本を借りて帰宅すると、義母がこう言った。
「嫌ね、それ借りたの?絵本くらい買いなさいよ。誰が触ったかもわからないのに」
「買います、今度から」
図書館の本を渡してくれたのは莉子だったけれど、義母の言葉は頭の中で莉子の言葉に翻訳されていた。だから、優しく響いた。
――ちゃんと、あなたの天使を守りなさい。
いつもの嫌味な口調が、そう言っているように思えた。
「ね、どうして私はお母さんじゃないと思った?」
驚いて見返すと、莉子は続けた。
「ここに一緒にいないからだよね。それは、そうだ」