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2022.01.16

ママパパの生活

うさぎの耳〈第二話〉そばかすパペット|谷村志穂

photo by Nakamura Akio

あまり期待してはいけない、と自分に言い聞かせていた。

彼女は、昼下がりのいつもの公園で、たった一度出会っただけの女性だ。思えば名前も訊いていないのだ。

ベビーカーの中の理玖の顔を見て、リクくん、とかすれた声で呼びかけてくれた。長い髪は少し色落ちしたように先が細く、それでも艶めいて風になびいていた。

その声や髪はよく覚えているのに、どんな顔立ちだったか、目や口元の形に至るまで記憶が曖昧だった。

緑のパペットを理玖にくれて、編み方まで教えてくれると言っていた。しかし、これから冬になっていく公園で?それに彼女は本当に月曜日と金曜日には公園にやってきて、寒空の下、編み物をしているのだろうか。なぜわざわざ公園で時間を過ごしているのだろう。私たちのように、家にいられないわけではないだろうに。 

窓辺に置いた緑色のパペットは、今、カーテン越しに朝日を浴びて、ちょっとおどけているように見えた。ピンクの鼻の上で、二つの目玉が寄り目になって見える。



「お義母さん、買い物は、メモにある通りでいいですよね?あとすみませんが、今日は少し余分にほしいんです」

義母がキッチンでコーヒーサーバーからカップにコーヒーを注いでいるのが、音でわかる。理玖を抱いてリビングに出ていき、そう頼む。私の腕の中をちらっと見やったきり、まるでこの世に理玖は存在しないように目を逸らす。私のことも、よくは見ようとしないから、視線の置き場に困って見える。

「そうね、メモ、渡したわよね」

食材などの買い物は、理玖のおむつや、緊急用の粉ミルクもあるから私の役だ。帰りにベビーカーの後ろにぶら下げて帰ってくる。そういうものが、箱で宅急便が届くのも、義母は嫌がる。

頼まれる買い物はとても具体的で

〈薄くスライスしてあるかぼちゃ

豆乳(いつもの薄い方)

クレソン、二束

茗荷 三つくらい

エゴマの葉

茹で蛸、足一本くらい

塩サバ(一夜干し)

牛肉 小ぶり ロース 和牛〉

などと、縦書きの達筆が続く。メモを書くにも、万年筆の文字。そんなことだけでも、義母には大切にしている生活があるのがわかる。それはそれで、ご立派だ。

けれど、理玖と私にも暮らしがある。遠慮してばかりなんていられないのだ。もちろん食材は自分の分も買わせてもらうし、理玖は離乳食も始まった。お尻拭きや瓶詰のベビーフードも買う。自分が食べたい時にはビスケットや、よくあるいちご味のチョコレートやレジ横に並んでいるみたらし団子なども買う。

「余分っていくらくらい?けちで言ってるんじゃないのよ。わからないじゃないの。何に使うの?」

義母は午前中はネグリジェの上にガウンを着ている。もう六十代後半なのに夜更かしで、深夜まで映画チャンネルで映画を観ているようだ。低血圧で、朝は苦手。その年齢なのに、というのは可笑しいのかもしれないが、義母は少なくとも枯れてはいない。以前は六十代後半の人など、人生において達観の域に向かっているのかと想像していたけれど。
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撮影/中村彰男 校正/岡村美知子

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谷村 志穂 作家

北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部卒業。出版社勤務を経て1990年に発表した『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーに。03年長編小説『海猫』で島清恋愛文学賞受賞。『余命』『いそぶえ』『大沼ワルツ』『半逆光』などの多くの作品がある。映像化された作品も多い。

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