気づいてしまった事実
発達検査が行われた部屋は、ほかの部屋の音が聞こえないよう防音部屋になっていて、その部屋で臨床発達心理士さんが息子にいろいろな質問をしていきます。親の私は何も言葉を発しないようにと言われ、息子の横で見守っていました。
心理士さんは息子に、「私と同じようにやってみせて」などさまざまな指示を出します。が、息子はただニコニコと笑うばかり。心理士さんのジェスチャーを真似することができないし、いくつもの質問にも答えられない。
どうして?初めてだから緊張してるの?いつものようにやればいいんだよ。
…心の中で息子に声をかけながらも、でも、私はそこで、気づいてしまったんです。息子が、指示の意味を全くわかっていないことに。
家では、「おもちゃを片付けて」と言えば片付けていたし、意思疎通できていると思っていたのですが、それはいつもの場所で、よくある状況から判断して動いていたのでしょう。
言葉が遅れてるだけじゃなかった…。
その事実に気づいた時、膝から崩れ落ちるようなショックを受け、私は耐えられず嗚咽していました。取り乱してもいたのでしょう。なんとか検査を終えた後も、私の様子を心配した心理士さんが、受付まで一緒についてきてくれたほど。
後日、検査結果を聞きに再び大学病院に行ったら、「実際より1歳半ほど成長が遅れている」とのこと。息子が発達障がいであることが、まぎれもない事実としてつきつけられたのです。
その帰り道、私は泣きながら車を運転して帰りました。いま思い返すとぞっとします。あの時、事故を起こすことなく無事に帰宅できて、本当によかったと思います。
一生懸命育児してきて、何が悪かったの?
もっと早くに気づけなかったの?
これからどうしたらいいの?
息子はどうなるの?
いろんな思いが交錯して、頭の中がぐちゃぐちゃ。実は正直、この頃の記憶はあまりありません。ただ、何かにすがるように毎日明け方近くまでネットを検索していました。でも、どこにも落ち着く答えは見つけられませんでした。
夫は、「息子にとって何ができるか、何がいいのか一緒に考えよう」と否定することなく、事実を受け入れてくれたのですが、私はただ自分を責めて、毎朝鉛のようになった体に鞭打ちながら、家事をこなすのが精いっぱい。息子は今までと変わらずいつも笑っているのに、私はずっと泣いて過ごしました。
療育施設の事前面談で言われたこと
結果を受け入れられないまま、今できることをやらないと…という思いで、重い腰をあげ、親子で通う市の療育施設への見学、面談へ行きました。
翌年、息子は幼稚園への入園を控えていたのですが、面談の席で施設長の先生に言われたのは、「息子さんは、普通の幼稚園では対応が難しい」ということでした。「保育園にある加配枠で対応してもらった方がいいですよ。施設に来るお子さんのほとんどが加配枠で保育園に進みます」。
その時はじめて知ったのですが、加配枠とは、保育園や幼稚園で通常の職員の配置基準に加えて保育士さんや幼稚園教諭を配置し、障がいを持つ子どもに対してフォローを行うこと。子どもが集団生活に馴染めるように日常生活のサポートをしたり、他の子どもとの関わりを援助したりします。
入園前に療育施設に通えばぐっと成長して、春には上の子の卒園児枠で、幼稚園に入園できるはず…。すでに入学願書を持っていたのですが、療育施設に通う前から「普通」が叶わない現実にまたも打ちのめされました。
後になって、保育園での加配枠を勧められたことに深く感謝することになるのですが、この時はもう何もかもが無理。息子と一緒に散歩している時に、通うはずだった幼稚園バスを見かけては、「通うことができないのか」と、また静かに泣きました。
上の子つながりのママ友の遊びの誘いも断るようになり、人目を避けるように、私たち親子は家に引きこもりがちに。どこに向かっていけばいいのか、私の何が悪かったのか、答えが出ないまま、親子で療育施設に通う日々が始まったのでした。
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「助けてください」。号泣して堰を切ったように出てきたのがこの一言でした【息子が発達障がいと診断されて#2】※記載した情報は当時のものであり、自治体によって福祉サービスが異なる場合があります。発達相談など地元の子育て支援に関する情報をご確認ください。文/山田明日美
<整理収納アドバイザー。女の子と男の子の2児の母。自身の体験をもとに子育てや片付けに関するアイデアを中心に執筆中。>